『言葉』は何のためにあるのか?

こんにちは! ハジメです!

 

今日はオナ禁とは直接的には関係ありませんが、

日頃ボクたちが書いている、話している『言葉』について

ぼくなりの考えを書いていきます。

(ただボクの考えをアウトプットするだけの記事ですw)

 

『言葉』は何のためにあるのか?

人は毎日の中で人と関わったりして、リアルでもネットでも

何かしらの『言葉』を発して(言ったり、書いたりして)います。

 

 

例え1日中誰とも関わらなくてずっと一人っきりの日でも、

タンスの角に小指をぶつけて「痛ってえ~~~!」と、叫んだり

イヤなことにブツブツ文句を言ったり、

面白い動画をみたりして笑ったりしていると思います。

 

 

ボクたちが日々使っている『言葉』は一体何のためにあるのでしょうか?

 

ボクは『言葉』が存在している理由は2つあると考えています。

 

【『言葉』の存在理由1】

<人に自分の思いを伝えるため>

はい、シンプルに人に自分の思っていること・考えを伝えるためです。

 

仕事で同僚に「ここはこうしてほしい」とか、

友達との会話で「あの映画はおもしろそうだから一緒に見にいこう」とか、

久しぶりに会った人に「元気だった?」などなど会話・質問全般、

また、ネットで人の悪口を書いたり、商品のレビューをしたり、

親に感謝の手紙を書いたりなどなど、もちろん書くことも含まれます。

 

あとは絵画やアート、風景などを見た時や自分が今までしてこなかった

新しい体験をした時に感じたことを伝えたり、ですね。

 

この感じたことというのはボキャブラリー(語彙力)が無いと、

うまく(的確に)伝えられない事もあるので難しいですね。

 

『言葉』を伝えるシチュエーションも様々です。  

ふと気づきましたが、現代ではスマホやパソコン(インターネット)があることで、

相手と離れた場所にいてもお互い顔が見える状態で電話(Skypeなど)ができたり、

You Tubeで動画を投稿してたくさんの人に何か伝えたり、

動画に対してコメントを書いたりと昔(50年くらい前とか)と比べて、

『言葉』を使うツールは格段に増えています。

 

しかしこの新しいツール(サービス)のなかでも

うまく『言葉』を伝えるには注意が必要なものもあります。

 

それはメールやブログ・ツイッターなどの文字だけのやり取りです。

 

直接会って話すよりも文字情報だけのやり取りでは発信した側の、

相手のことを考えた思いやりが入りづらいのです。

特に急いでいる時に発信したりすると、

『言葉』が雑になったりして相手に冷たい印象を与えてしまします。

 

さらにブログ・ツイッターは自分の発信を消すことができますが、

一度送ってしまったメールはそれができません。

なので急いでいるときほど注意が必要だったり、

相手への配慮が大切だったりします。

 

 

また、『言葉』の伝え方も言う・書く以外にも手話や点字などが

あったりします。

人に言わなくても書かなくても、

自分の思いを伝えるということは一緒ですね・・・。

 

 

上記で伝えたことは【『言葉』の存在理由】を考えた時に、

多くの人が思い浮かぶことなんじゃないかなー、と思います。

 

ここから先の【『言葉』の存在理由2】は本も引用しますが、

ボクの考えになります。

では書いていきます。

 

【『言葉』の存在理由2】

<自分の気持ちを確かめるため>

人に言ったり書いたり発信することで自分の気持ちを確かめ、

その思いを強くしたり、気持ちを紙に書いて可視化して俯瞰で見たりと

自分の思いを知る・考えを自分に落とし込むため、ですね。

 

また、発信することでまだ気づいていなかった自分の気持ちを

知るため・気づくため、でもあるとボクは考えます。

 

この『気づいていなかった自分の気持ちを知る・気づく』というのは、

脳科学者の茂木健一郎さんが書いた

『最高の結果を引き出す質問力その問い方が、脳を変える!』

という本にわかりやすく書かれているので引用させていただきます。

 

友人と会話をしているとき、その人の言葉に答えようとして、

何かを自分で言ってみたら、「あれ? 私、こんなこと言っている!」と

自分で驚くことがありませんか?

人に分かるように言葉にしようとすると、脳の中で考えていることが整理されて、答えが出てきやすくなることが知られています。

話すためには、どうしても整理しなければならなくなるので、

その過程で答えが見つかりやすくなります。

言ってみて初めて、「自分はこんなことを思っていたのか!」と

気づくというわけです。

引き出される前までは、豆腐のようにやわらかい状態だったのが、

言葉に出してみると、固まって形になって見える。

その固まって出てきたものに、自分自身でさえ驚くことがあります。

問題は、分かって初めて口にできるのではなく、

口にして初めて見えてきます。

脳は、一度外に出さないと、自分自身と対話できないのです。

 

つまり茂木さんは

「人との会話のなかで人に分かるように言葉にしようとすると、

脳の中で考えていることが整理されてそれを口に出すことによって、

自分自身が気づいていなかった自分の気持ちをを知ることができる」

と、言っています。

 

ボクは茂木さんが言う会話以外にも

「自分自身が気づいていなかった自分の気持ちを知ることができる」方法は

たくさんあると思います。

 

例えば自分がイヤでやりたくないことに対して「なぜやりたくないのか?」と問いかけ

出てきた答えにまた「なぜ?」と繰り返していく『なぜなぜ分析』があります。

ja.wikipedia.org

 

ただしこの『なぜなぜ分析』をやっても、

「自分自身が気づいていなかった自分の気持ち」の一部分しか知ることができません。

 

自分をもっと知るには日頃から『今自分はこう思っているな』と、

自分を客観視したり、今までの自分がしてきた

「この学校に入ろう」とか「この会社に就職しよう」とか

人生のなかでの大きな決断をしたときを思い出してみて

『なぜそう決めたのだろう?』と自分に問いかけ自己分析を

してみるのもいいですね。

 

ほかにも大切な友人や両親に感謝の手紙を

書くというのもあります。

普段あまり口には出さないことを書こうとするので、

自然といつも今まで当たり前のようにしてもらってることに

感謝の念・言葉が書けて、新しく、また自分自身が気づけていなかった気持ちを

知ることができます。

 

・・・・・あれ、『言葉の存在理由』から

『自分自身が気づいていない自分の気持ちを知る方法』に

話が変わっていってますね・・・。

 

ま、まぁいいや・・・。

 

 

【あとがき】

言葉の存在理由を考えるのは途中で話が変わってしまったりして、

ボク的には難しかったです。

そのね・・・話をどう広げるかがね・・・ハイ。

 

言葉って大切というか、

普段当たり前のように使っているからこのテーマを考えられたのは

ボク的には良かったです。

 

もし言葉がなかったら人は生きていけないだろうし・・・、

 

 

・・・・・思ったより長い記事になったなぁ。(笑)

 

なんか投げやりな感じかもしれないけどさようならです。